淡路(1996)による〔『環境法』(29-38p)から〕


1 環境と環境法
(1)環境とは何か

 一般的な用語で環境とは、われわれを取り巻く自然的あるいは人工的な外部世界をいうが、そのような一般的な用語はここでは関係がない。ここで問題となるのは、環境法の対象となる環境とは何か、そしてそのような環境を保全するうえで支障となる現象(いわゆる環境問題)とは何か、ということである。
 環境法の対象となりうる環境の範囲は、広範かつ多様である。たとえば、大気、水、静穏、土壌ないし地盤、森林や原野あるいは自然の海浜、農地や水辺、野生の動植物、日照、景観、歴史的・文化的遺産などをあげることができよう。
 これらのさまざまな環境を構成する要素の中から、法律は、まず、汚染や悪化のおそれがあり、対策を要するものを取り出した。そのさい中心的な概念になったものが「公害」と「生活環境」であり、公害と生活環境の悪化を防ぐために対策の総合的推進をはかることを目的としてつくられたのが、すでに第T章で説明した「公害対策基本法」である。だから、同法は、環境の一部の要素をその汚染・悪化の面に限定して定義したことになる。
 公害対策基本法の「公害」の概念は、そのまま「環境基本法」に受け継がれているので、環境基本法による定義をここで引用しておこう。「公害』とは、環境の保全上の支障のうち、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染水質の汚濁(水質以外の水の状態又は水底の底質が悪化することを含む。)、土壌の汚染騒音振動地盤の沈下(鉱物の採掘のための土地の掘削によるものを除く。)及び悪臭によって、人の健康又は生活環境(人の生活に密接な関係のある財産並びに人の生活に密接な関係のある動植物及びその生育環境を含む。)に係る被害が生ずることをいう」(2条3項)。
 環境基本法もまた、環境一般を定義する方法をとらず(そのような方法は実際上はきわめて困難であろう)、対策を要する環境保全あるいは環境の保全上の支障の面から限定している。すなわち、「環境への負荷」「地球環境保全」および「公害」の三つである。公害についてはすでに引用したので、前二者をあげておこう。まず、「環境への負荷』とは、人の活動により環境に加えられる影響であって、環境の保全上の支障の原因となるおそれのあるものをいう」(2条1項)。次に、「地球環境保全』とは、人の活動による地球全体の温暖化又はオゾン層の破壊の進行、海洋の汚染、野生生物の種の減少その他の地球の全体又はその広範な部分の環境に影響を及ぼす事態に係る環境の保全であって、人類の福祉に貢献するとともに国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するものをいう」(同2項)。
 結局、環境基本法は、環境を包括的概念として規定し(環境庁企画調整局企画調整課編著『環境基本法の解説』ぎょうせい、1993年、119頁以下参照)、環境の要素として大気、水、土壌、静穏、森林、農地、水辺地、野生の動植物、生態系の多様性、野生生物の種などをあげているものの、厳格に定義することをしていないので、実定環境法の下では、施策を要する環境の要素とその環境保全上の支障からその範囲が定められることになる。だから、日照、景観、歴史的・文化的遺産、ある種の都市的要素なども、当然に、環境法の対象としての環境となりうるのである(たとえば、1994年に制定された東京都の環境基本条例は、景観や歴史的・文化的遺産を環境保全上の施策の対象に含める。また、同年の大阪府の環境基本条例は、安らぎのある都市空間を環境保全上の施策の中に含めている)。

(2)環境法とは何か
 環境法とは、環境保全上の支障(公害や地域的規模あるいは地球的規模の環境破壊・悪化)を防止し、良好な環境の確保をはかることを目的とする法制度(憲法、条約、法律、条例など)の総称である。そのような法領域を対象とする法律学のことをも環境法と呼ぶことがあるが、後者を法領域としての環境法と区別する必要がある場合には、法律学としての環境法とか環境法学などと呼ぶことが適切であろう。
 環境法の最上位には、憲法25条生存権および13条幸福追求権をおくことができる。そしてそれらから、解釈上環境権を導き出すことができることは、後述するとおりである。
 また、地球環境保全、国際環境問題への対応のために、近年、環境保全にかかわる条約が増えてきた。それらの中には、国内で条約の目的を実施するために国内法を制定したものもある(たとえば、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」〈以下、ワシントン条約と略す〉と国内法としての「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」〈以下、種の保存法と略す〉、「オゾン層の保護のためのウィーン条約」〈以下、オゾン層保護条約と略す〉と「特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律」など)が、そうでないものもある(「気候変動に関する国際連合枠組み条約」は、それに対応する国内法が制定されていない)。
 実定環境法の主要部分は、環境基本法を頂点とする環境基本法体系に位置づけることができる。
 しかし、実質的には環境法であっても、環境基本法体系に属さないものもある。たとえば、原子力ないし放射性物質による環境汚染に関する法制度は、環境法の一部であるが、環境基本法体系からは除外されて、原子力基本法体系に属する(環境基本法13条参照)。また、快適な都市空間(いわゆる都市アメニティー)の創造にかかわる法制度も、実質的には環境法に含めることができるが、環境基本法体系には属さない都市再開発法や建築基準法によって大部分が規律されている。さらに、歴史的・文化的遺産の保全に関する法制度も環境法に含めることができるが、実定法としては、その主要部分は環境基本法体系に属さない文化財保護法や「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(以下、古都保存法と略す)などの法律によって規律されている。
 本書では、法制度のヒエラルキーと環境法の現実の姿を考慮して、環境法各論とでもいうべき第V章以下を、次のような構成とした。すなわち、まず第V章において、条約を中心とした国際環境法を説明する。ついで、第W章で環境の保全と環境計画を説明し、以下、第X章で環境汚染(公害)の規制と環境保全、第Y章で自然環境の保全、第Z章で環境の保全と費用負担を説明する。続いて、第[章で公害・環境紛争の司法・行政上の解決を説明し、最後に第\章で環境行政の組織を説明して、終えることとする。

2 環境法の理念と課題
(1)環境法の理念

 すでに説明したように、環境法はまず公害法として始まった。そこでは、人の健康の保護と生活環境の保全が目的とされていた(公害対策基本法1条)。
 しかし、オゾン層の破壊や温暖化ガスの増加による気候変動など地球環境の危機が認識され、地球的規模でも地域的規模でも環境の容量の有限性が明らかになるにつれて、より広く、より根本的な理念が必要とされるようになっている。以下、環境法の理念を明らかにしよう。
 まず第1に、人の健康の保護と生活環境の保全は、環境法の最も中心部分の、しかし最小限の理念として、最重要であることはいうまでもない。この点は環境法の中では、公害防止にかかわる法(公害法)の役割とされる。
 環境基本法は、公害にかかわる法制度については公害対策基本法のそれを受け継いだ。
 第2に、人は、いまこの世の中に生きている現在世代も、また将来生まれてくる将来世代も、単に健康を害されず、生活環境に被害を受けないというだけでなく、良好な環境を享受できるのでなければならない。これが1972年の国連人間環境会議(ストックホルム会議)以来、世界的に認められつつある環境権の考え方であり、環境権の保護が環境法の重要な役割となる。
 環境基本法は、「現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように」、適切に環境保全がなされなければならない、と規定して(3条)、基本理念の一つを明らかにしたが、環境権を規定するところまではいっていない。
 第3に、現在世代がそのニーズのままに社会経済活動を行うならば、将来世代は、「健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受する」どころか、悪化した環境のためにそのニーズを満たすことができず、生存すら脅かされかねない事態が起こりうる。したがって、将来世代のニーズを満たす能力を損なうことのないように、現在世代が発展をとげることが必要である。これが「維持可能な発展」(サスティナブル・デベロップメント。持続的発展とか持続的開発などともいわれる。用語解説参照)の考え方である(1987年の「環境と開発に関する世界委員会」で提唱され、1992年の「環境と開発に関する国連会議」いわゆるリオ会議を通じて国際社会で一般的に承認されるようになった考え方)が、このような考え方の背後には、現在世代と将来世代との間の世代間公平の理念があるといえよう。したがって、世代間公平の理念とその具体的な表現としての「発展の維持可能性」を保障することが、環境法の重要な理念となる。
 なお、「維持可能な発展」は、環境への負荷が環境の容量を超えるならば、不可能となる。現在起こっている環境問題は、地球的レベルであれ、地域的レベルであれ、環境への負荷が過大になっていることから生じており、したがって、環境への負荷を低減することが環境法の重要な課題となる。「環境への負荷の低減」は、「維持可能な発展」の理念のコロラリーといってもよい。
 環境基本法は、環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築を基本理念の一つとしてあげて(4条)、この理念に一つの具体的な姿を与えた。重要な規定というべきである。
 第4に、地球環境問題や国際環境問題(地球環境問題とは区別された)を解決するためには、いうまでもなく国際的協調が必要である。国際的協調にはいろいろの面があるが、環境問題においては、経済的・技術的に進んだ国(先進国)がそうでない国(途上国)に対して経済的援助とか技術的援助をするといった国際協力は、その重要な一面である。このような国際的協調は、環境法、特に国際環境法の重要な理念となりうるであろう。
 しかし、この点についてはもう少し留保が必要である。たとえば、地球環境問題としての温暖化ガスの問題を例にとればわかるが、このような環境問題を引き起こした原因は、国に応じて同じではない。現在までのところ、温暖化ガスを引き起こした原因の主要部分は先進国にあり、近い将来途上国が主要な原因者に加わるとしても、これまでの原因と責任をふまえるのでなければ、国際的協調は困難であろう。
 また、国際環境問題においても、いわゆる「公害輸出」や越境汚染の例にみられるように、一つの国やその国から進出した企業・資本が他の国の国民の人権を侵し、環境上の被害を及ぼしている。ここでも、その原因をふまえるのでなければ、国際的協調による解決は困難であろう。つまり、国際間においても、公平を基礎におくことが必要なのである。国際間公平は、国際協調の重要な前提であり、環境法のもう一つの理念とされなければならない。
 環境基本法は、国際的協調による地球環境保全の積極的な推進を謳った(5条)が、国際間公平の理念が表されていない点で、ここでいう国際間公平をふまえた国際協調の理念とはズレがある。

(2)基本的な権利としての環境権
 環境法は、現在世代と将来世代の良い環境を享受する権利、およびそれを保障する各主体の義務(法律上の義務)と責務を基礎とする法体系の全体によって構成されている。これらのうち前者は環境権と呼ばれ、憲法から導かれる基本的な権利(基本的人権)ないし法原則(基本的人権保障の法原則)として、最も重要である。
 環境権という基本的人権が意識されるようになったのは、そう古いことではない。近代産業が発展する以前は、物質的には貧しくても豊かな自然があったため、このような権利を問題とする必要はなかったからである。近代化以降、特に第2次世界大戦後の産業化、都市化の進展により、環境が回復不可能な仕方で(不可逆的に)破壊されるようになって、はじめてこのような権利の必要性が認識されるようになった。
 環境権を承認することの必要性が世界的に認識されるようになったのは、1972年、ストックホルムで開かれた国連人間環境会議の人間環境宣言がきっかけとなっている。同宣言は、宣言の1の中で、「自然のままの環境と人によって作られた環境は、ともに人間の福祉、基本的人権ひいては、生存権そのものの享受のため基本的に重要である」とし、共通の信念の一つをこう表明した。すなわち、「人は、尊厳と福祉を保つに足る環境で、自由、平等および十分な生活水準を享受する基本的権利を有するとともに、現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う」(原則1の一部)。この会議の前後から、世界の国々のなかに環境権を憲法の中で宣言するところが現れてきた(淡路剛久「環境権の確立を求めて」『公害研究』20巻1号20頁以下)。
 わが国において環境権の考え方が現れたのは、ストックホルム会議より少し早く1970年のことであった。同年、社会科学者の国際会議が東京で行われて、その宣言の中で環境権の確立が求められ、さらに、日本弁護士連合会が環境権の提唱をして、環境権を基本的人権だけでなく差止請求などの訴えを起こすことができる具体的な私法上の権利としても認めるよう主張した(大阪弁護士会環境権研究会『環境権』日本評論社、1973年)。
 このような環境権の考え方は実定法の明文の規定を欠く(環境基本法が環境権の規定を設けなかったことについては前述)とはいえ、基本的人権の面では、学説上承認されつつあるといってよいであろう。憲法25条、13条がその根拠とされている。環境権は、この意味では、実定環境法の最上位に位置づけられるでき基本原理と考えられる。これに対して、私法上の具体的権利としての環境権は、基本権としての環境権を保障するための一つの司法上の手段である。これまでのところ裁判所は、この意味での環境権を承認しておらず、今後の課題となっている(淡路剛久『環境権の法理と裁判』有斐閣、1980年。淡路・前掲論文参照。本書284頁以下)。

3 環境法における主体の役割
(1)国と自治体

 国は、環境保全について、前記の基本理念(第U章2(1))にのっとり、法律を制定したり行政的な施策を講じるなど、国家レベルの視点で環境施策を講じる義務および責務を有する。この点につき、環境基本法は、国は基本法があげる三つの基本理念(3条ないし5条)にのっとり、環境の保全に関する基本的かつ総合的な施策を策定し、および実施する責務がある、と規定する(6条)が、義務が生じる場合も少なくないであろう。なお、ここでいう環境施策には、国の環境行政部門(環境庁など)が行う固有の環境施策にかぎらず、開発政策やエネルギー政策などにおける環境保全も含まれている。
 国がなすべきとされる環境施策の一部は、機関委任事務として地方公共団体に委任されている(たとえば、大気汚染防止法、水質汚濁防止法などの公害規制法に基づく規制措置など)が、機関委任事務のあり方には批判もある。
 地方公共団体(自治体)は、前記の基本理念にのっとり、条例を制定したり行政的な施策を講じたりするなど、地方レベルの視点で環境施策を講じる義務および責務を有する。基本法は、国の施策に準じた施策およびその他のその地方公共団体の区域の自然的社会的条件に応じた施策を策定し、および実施する責務を有する、と規定している(7条)が、自治体の固有事務としての環境行政は別として、国の法律との関係が問題になる。すなわち、自治体の条例制定権につき、国の法律が定めていない事項、あるいは定めていても法律の規制とは違った観点からの規制(「横だし」規制などと呼ばれる)は原則として認められているが、法律が規制している事項につき国の規制よりもより厳しい規制(「上乗せ」規制などと呼ばれる)を行うことができるかどうか、が問題となるのである。
 学説にはこれを肯定する有力な見解があるが、「上乗せ」の可否が問題になった具体的なケース(大気汚染および水質汚濁の規制につき、自治体が法律の規制よりも厳しい規制をできるかどうかが現実に問題となった)では、法律が「上乗せ」規制を認める規定をおくかたちで解決した(たとえば、大気汚染防止法4条、水質汚濁防止法3条3項)。しかし、このような問題はつねに起こりうる問題であり、原則的な考え方が明らかにされなければならない。この点については、後述する(本書42頁以下)。

(2)事業者
 公害対策基本法体下にあっては、公害規制が環境法の中心であり、事業者の公害防止の義務が最も重要であった。したがって、同法においては、公害対策にかかわる関係主体のうちで、事業者の責務が最初に規定されていた。環境基本法の下でもこのことは変わらないはずであるが、基本法は、事業者の責務の規定を、国および自治体の責務の次においている(8条)。これは、事業者の義務ないし責務がそれだけ重要でなくなったことを意味するわけではなく、地球環境問題にみられるように環境施策の総合化がますます重要となり、そのような施策を展開する国や自治体の役割がそれだけ強調されなければならなくなったことの表れ、と理解されるべきである。
 基本法は事業者の基本理念にのっとった責務を次のように規定している(8条)。すなわち、第1に、事業活動から生ずるばい煙、汚水、廃棄物等の処理その他公害を防止し、または自然環境を適正に保全するために必要な措置を講ずること。第2に、物の製造、加工または販売その他の事業活動を行うにあたって、その事業活動に係る製品その他の物が廃棄物となった場合にその適正な処理がはかられることとなるように必要な措置を講ずること。第3に、事業活動に係る製品その他の物が使用されまたは廃棄されることによる環境への負荷の低減に資するように努めるとともに、その事業活動において、再生資源その他の環境への負荷の低減に資する原材料、役務等を利用するように務めること。第4に、事業活動にともなう環境への負荷の低減その他環境の保全に自ら努めるとともに、国または地方公共団体が実施する環境の保全施策に協力すること。
 以上のほか、法律には規定されていないが、今後、環境監査を実施することが求められよう。

(3)国民と住民
 国レベルの視点で見た一般人(公衆)を国民、地方レベルの視点で見たそれを住民と呼ぶことができるが、国民ないし住民の環境法における位置づけは、本来きわめて重要であるはずである。なぜなら、国民・住民は、環境権の主体として法的な位置づけ(法的主体性)を与えられるべきであるとともに、民主的社会の意思決定のあり方として、さまざま開発計画の決定や環境保全施策のなかに参加が求められるべきだからである。
 しかし、わが国の環境法は、これまでのところ、国民・住民にそのような法的主体性を認めてこなかった。議会という間接代表制を除いて、環境保全にかかわる施策への参加権もまったく認められていない。基本法は国民の役割について規定をおいた(9条)が、それは環境への負荷の低減の努力と国、自治体の施策への協力という責務についてであって、権利についてではない。基本法はまた、民間団体等の環境保全にかかわる自発的な活動に期待し、それが促進されるように国が必要な措置を講ずるよう規定している(26条)が、これもまた、権利とは無関係である。このように、国民・住民が環境保全について法的主体性を認められていないこと、参加権も保障されていないことが、わが国の実定環境法の最大の欠点の一つであるといえよう。
 今後、国民参加、住民参加を法的な制度として確立していくことが必要であると考えられ、参加権を保障するためには、さらにその前提として、環境にかかわる情報の公開が必要とされる。基本法は、この点に関連して情報の提供の規定をおいている(27条、34条2項)が、情報の公開についてはふれられていない(情報の提供と情報の公開は異なる)。環境情報の公開をどう実現していくかも、今後の実定環境法の課題である。』