島津(1997)による〔『市民の環境アセスメント』〕


1 アセスとは−日本とアメリカの違い
 「環境アセスメント」の名前を知っている市民は案外おおい。しかし、その中身についてはあまり知られていない。開発を止める「天の声」と期待された時期もあったが、今では「アワセメント」「アワスメント」「免罪符」と笑われている。すなってしまったのはなぜなのだろうか、本来の意義にもどるにはどうしたらいいのか。これが本書の主題である。
 なお、環境アセスメントの正式な名称は「環境影響評価」であるが、漢字ばかりがならぶため、以下では「環境アセスメント」とよび、さらに「アセス」の略称をつかう。ただし、計画アセス、実施(事業)アセスなどのように、「環境アセスメント=アセス」だけでなく、「アセスメント=アセス」と意味を拡張してつかうこともある。

 日本のアセス法でいうアセス
 1997年に制定された「環境影響評価法」(アセス法)第二条では、アセスを次のように定義している。

 事業(特定の目的のために行われる一連の土地の形状の変更(これと併せて行うしゅんせつを含む。)並びに工作物の新設及び増改築をいう。以下同じ。)の実施が環境に及ぼす影響(当該事業実施後の土地または工作物において行われることが予定される事業活動その他の人の活動が当該事業の目的に含まれる場合には、これらの活動に伴って生ずる影響を含む。以下単に「環境影響」という。)について環境の構成要素に係る項目ごとに調査、予測及び評価を行うとともに、これらを行う過程においてその事業に係る環境の保全のための措置を検討し、この措置が講じられた場合における環境影響を総合的に評価することをいう。(原文のまま)

 お役所言葉で書いてあるのでむずかしいことをいっているようだが、ようするに「開発事業をおこなうときには、あらかじめ環境にあたえる影響を見きわめて大丈夫かどうかを判断し、必要な保全措置をとろう」という行政手続きがアセスである。
 ところで、アセスの手続きに登場するのは誰であろうか。まず、アセスの内容は開発事業者の責任で作成することとされている。そしてその結果を、大規模な事業なら国(例えば、道路なら建設省、空港なら運輸省)が、小さな事業なら地方自治体の長(知事や政令指定都市の市長)がそれぞれうけとって審査し、アセスの手続きが終わるまで開発事業者は工事を着工してはならないことになっている。行政による審査の過程で、開発事業者は住民の意見を聞かなければならないので、地元住民が手続きに関与することになる。
 国がおこなうアセスで公共事業が対象になるので、開発事業者は行政の現業部門であるが、道路公団のような特殊法人であることもあるし、発電所の場合は民間企業である電力会社が事業者になるなど、公共性の高い事業ではいくつかの特例がある。一方、地方自治体のアセスでは普通の民間事業をふくんでいることもあるので、開発事業者の内容は多様である。さらに、アセスでは専門的な調査や予測をしなくてはならないので、環境コンサルタントという調査機関が開発事業者の委託をうけてアセスの内容をつくるのが一般的である。
 このようにアセスには、開発事業者、環境コンサルタント、行政、そして住民がそれぞれの役割をもって関与するので、おたがいのあいだにかなり複雑な関係、あえていえばカケヒキが存在することになる。
 日本で、国や自治体のアセスの実施数は、年ごとの変動はあるものの、年に200件以上に達する。これはけっこう大きな数である。

 アメリカのアセス
 アメリカの環境庁におけるアセスの定義は、
 To analyze the significant environmental effects of a proposed project.
To identify alternatives, and to disclosure possible ways to reduce or avoid possible environmental damage.
となっており、日本とどこが違うのかをよくみてほしい。alternatives(代替案)の提示とdisclosure(情報公開)の二点は日本のアセスの定義にはない。このことが後で重要な問題となる。
 ちなみに「アセスメント(assessment)」を英和辞書でひくと「課税額の査定」とあり、アメリカでは「事前の見積もり」という意味で日常的につかわれている言葉である。湾岸戦争のときのニュースで、記者会見をおこなっている多国籍軍の司令官が「アセスメント」を連発するのが印象的だった。この場合、「これからの攻撃の戦果をどう予想しているのか」という意味につかっているわけで、税金も環境も戦争もみんなアセスメントの対象になりうるのである。O157やダイオキシンなどの毒性や地震災害もアセスの対象であり、「あらかじめ結果を予想して、対策をたてておく」のがアセスなのである。
 もっとも、現実に自分の家の近くで大きな開発事業がおこなわれるという経験は、あっても一生に一度というところだろう。ある日突然、関係地域住民(関係地域住民が何をさすかについては、第三章3でのべる)になるというのが現実であろう。したがって、日ごろから環境学習をしておくことは必要であるが、実際に身にふりかかった場合、どう対処するかをせまられても、どうしたらいいかわからないというのが本当のところではないか。そこで、少数でもいいからアセスを読みぬく能力をもつ市民の数を増やしておき、いざという場合にはそれらの人のネットワークを利用して、なるべくおおぜいで対応するのがよいだろう。これが、もともとの市民講座の目的であった。
 そのうえで、計画そのものの発生を一日でも早く知るアンテナをもち、アセスのスタート前に、どんなアセスが必要かをくみとるノウハウを身につける必要がある。調査の方法や予測の手法などのこまかいことはわからなくても、市民の目で本質を見ぬくためのノウハウをもてれば十分である。
 なお、本書では「(関係地域)住民」と「市民」の二つの言葉をつかっている。住民と市民との違いにはくわしい説明が必要であろうが、ここでは、アセスの手続きに関連したところではそこでの用法にしたがって「(関係地域)住民」をつかっていることを指摘するにとどめたい。
 私は、日本にアセスが導入される前からSCOPE(環境問題科学委員会)という国際的なグループに関係して世界最初のアセスマニュアルの編集に参加していた。これは『環境アセスメントの原則と方法』(1975)としてまとめられており、いまでもアセスの原点として、日本でも「環境情報科学センター」から島津訳で出版されている。冬の二月にカナダのトロントから100km北の湖畔のリゾートホテルに二週間缶詰になってつくったこのマニュアルは、原版よりも先に日本版が出たというイワクツキのもので、私自身にとってもアセスの原点となった。このグループは各国の専門家からなるNGO(非政府組織)で、世界のどこかで問題がおきれば、手弁当でかけつけることになっている。このグループは、全面核戦争の環境アセスの仕事もやっており、その仕事は「核の冬」の名で知られている。
 日本国内で私は、北海道から沖縄までの各地でのアセスの実施や各自治体のアセスの実施や各自治体のアセス導入の指導と審査、環境庁をはじめとする各省庁でのアセス技術指針の作成、アセスマニュアルの編集などを通じて、30年近くアセスに関係してきた。現在は中部新国際空港のアセスにもかかわっている。またこの20年間、韓国・台湾・中国・マレーシアなどのアセス法の制定、実施の指導にも関与している。欧米だけでなくアジアの諸国も日本に先駆けてアセス法をもっている。』